自分が自分に与える

そなたは自分を愛しているかな。

そんなことはどうでもいいというかもしれん。
しかし、これが全ての結果を作っているのぢゃ。

例えば、
劣等感をもとに、お金を稼ごうとする人がいるとするぢゃろう。

自分にはお金がない。
悔しい。見返してやりたい。

そういう思いで、お金を稼げば稼ぐほど、
実は、劣等感は強く、おおきくなるのぢゃ。

これを心理学で
「行動は動機を強化する」という。

行動は動機を強くする。

つまり、なにをしているかよりも
なぜ、しているのかのほうが重要なのぢゃ。

なぜなら、それをすればするほど
動機のところにある思いが強くなっていくからぢゃ。

例えば、自分は既に十分にあると感じる人がいるとする。

自分の周りにあるものにいつも気づいている。

彼は自然と感謝の念を抱くようになる。

そして、なにかお礼をせずにはいられなくなる。

それは特定の人であるかもしれないし、
周りにあるもの、環境、土地、地域かもしれないし、
国かもしれないし、星かもしれないし、
やがては宇宙であるかもしれない。

感謝を動機に働くことをすれば
すればするほど、感謝の念が大きくなっていく。

そして、感謝したくなるような出来事が
つぎからつぎへと、更に、雪崩のように起きてくる。

そういうサイクルだって、あるわけぢゃ。

前者と後者、どちらをお望みかな。

以下は後者を望むという人のために書く。
前者をお望みの方は、おそらくは今までどおりのところをし続ければいい。

同じ動機からは同じ結果しか生まれないのだから。

しかし、後者をお望みの人は、
まず、動機を変えなくてはいけない。

感謝だ、ありがとうだ、と言われても
なかなか、する気になれない、違和感がある、というかばからしい、という人が
たくさんおる。

そう感じるのももっともな話ぢゃ。

内側と外側が一致していないのだから、
違和感があるのは当然といえば当然なのぢゃ。

ひとつお尋ねしたい。

そなたは、自分を条件付きで愛していませんか、ということぢゃ。

例えば、
「好きな人に好かれたら、私は自分を許す、愛する」という人。

結構いるのぢゃ。

特にこれは女の子に多いかもしれんのぅ。

「結婚できたら、自分を愛する」とか。

「幸せな家庭を作れたら、自分を愛する」とか。

愛する、という表現を使わなくても
「私はこうだから、だめ」という表現はよくするぢゃろう。

彼氏がいないからだめ、お金がないからだめ、仕事がうまくいかないからだめ、
友達がいないからだめ。

今の自分がだめだと思う理由を全部ひとつのこらず紙に書いてご覧。

いかに、自分に対する条件が多いかに気づくはずぢゃ。

そして、その次にそのひとつひとつを
「自分が自分に与える」のぢゃ。

具体的には、
それが手に入ったときの自分の気分を、先に味わってしまうんぢゃ。

それにはイメージしやすい写真があってもいいし、
音楽やにおいでも、いい。

そういったものを身近に置くこと自体、
すでに自分を許すことの一環となる。

そうして、それをもっていない自分を許す。
そして、それを自分がもつことを許す。

この3段活用ぢゃ。

・得ていない自分を許す
・得た気分を先に味わう
・得ることを許す

これを遊び感覚ですると面白い。

なによりも正直になることが大切ぢゃ。

自分が本当に何を望んでいるのか
案外、知らない人は多い。

これを望むべきだとか。
これは望んではいけないとか。

そこからしてがちがちな人がいっぱいおる。

こんなことを望んでいることを
他の人が知れたらどうしよう、親に知られたらどうしよう、
友達に恋人に、妻に夫に。

しかし、それを人に知らせる必要はない。

いや、むしろ、自分が本当に望んでいるもの、状況については
なるべく秘密にしたほうがよいぢゃろう。

というのも、
多くの人は、まだ、未熟ぢゃ。

身近な人を近くにおいておきたがる。

夢に向かって動き出してしまうと
自分から離れていってしまう。

その寂しさゆえに、
また、自分が自分を許していないが故に
その裏返し、つまりは嫉妬やねたみによって
そなたに「そんなことはできるはずがない」
「そんなことしていいと思っているのか」と言うことのほうが多い。

ありのままを受け入れられる人は
精神的、経済的に自立しており、かつ、そなたを本当に愛しており、
更には自由な思考ができる人に限られる。
そういう人はなかなかいない。
しかし、そうでないことを責める必要はない。
間違っても、そうあることを、パートナーや親に要求してはいけない。

人はみな、過程にある。

本当に自分が望むこと。
ええ?本当にいいの?と思わず、自分がドキドキしてしまうこと。

ちょっと怖いとすら、思うこと。

その「本当の望み」「正直な自分」
思いもがけない、自分を見つけることは、
なかなかエキサイティングな体験ぢゃ。

そのときは、社会の常識や、道徳、「なければならない」は不要ぢゃ。
それこそが、自分を条件にあてはめる、ということなのぢゃ。

自分を許し、解放してごらん。

しかし、そこの自分以外の人が必要な場合は
あくまで相手の同意があることが前提じゃ。

誰かを騙したり傷つけたりはおすすめしない。
それは対ひとであれ、対動物であれ、対地球であれ、同じことぢゃ。

したことはかえってくる。
それは知っていようがいなかろうが。

しかし、同意があるならば、
そなたは自分を許していい。

自分が欲しいものを得ていい。

自分の思いと行動をスムースに一致させる。
それだけで、人は恐ろしくパワフルになる。

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