人生の難易度

 生きてるだけで拍手という人がおる。

人生の難易度を高く設定している人々ぢゃ。

 例えばLD(学習障害)と呼ばれる人々。

彼らは、勉強する、ということがスムースではない。
※それは今ある教育というベースにおいて

彼らは習得することに困難が伴う。

彼らは人の話を聞かない。
聞き間違ったり、勘違いしたりする。

そして、そのことを認識しづらい。

彼らは文字すら読んでるようで読んでいない。

INPUTができない。

志はあるのに、思うように上達できない。
体験が積みあがらない。
成長していくことができない。

従って、彼らの自己評価は低い。
自分には出来ない、と深く傷ついている。

深い傷、であるがゆえに、あきらめているが故に
あきらめていないふりをする。

開き直り、いつか必ずと夢見ているふりをする。

彼らは、生きることそのものが、通常の人より遥かに困難ぢゃ。
ちなみに、おず君は学習障害ぢゃ。

生きてるだけで拍手という人がおる。

ADHDと呼ばれる人たちぢゃ。

彼らはものを忘れる。
覚えておくことができない。

そして、衝動で行動する。

ひとつの作業中に他のことが気になったら
その作業が未完結のまま、次の作業にうつる。

部屋にはやりかけがたくさん転がっている。
彼らの周りにはつねにやりかけのものが落ちている。

彼らはアイデアについては秀でたものがある。
しかし、それは高速道路の風景のように通り過ぎる。

彼らは常に未完成、未達成の感覚に陥る。

待つ、並ぶ、状況を判断するということが難しいため
人間関係を積み上げるということに困難がある。

彼らは特に書類というものが苦手。

なにがどこにいったのか、すぐに分からなくなる。

毎日は自分の忘れ物との戦いである。

彼らは、生きることそのものが、通常の人より遥かに困難ぢゃ。
ちなみにおず君はADHDぢゃ。

生きてるだけで拍手という人がおる。
アダルトチルドレンと呼ばれる人たちぢゃ。

彼らは守られるべきときに守られなかった。

彼らは守られるべきときに
守る側にまわらなければならなかった。

その対象は親であったり、自分自身であったり、
他の家族であったり。

暴力と争い。秘密。
身近にある危険。感覚の麻痺。
依存と過保護。

彼らは何が正常で何が正常でないかを判断することができない。

何をしても楽しむことができない。

誰といても、安心ができない。

どこにいても、安らぐことができない。

常に追い立てられ、評価され、判断されている気分に陥る。

そして、それを異常とは思わない。

なにかをやればやるほど、自分の考え、行為、有り様が
自分を傷つける。

周りの人がどんなに「あなたは十分にやっている」といっても
本人は、いやまだまだ、まだ不十分、足りない、と感じる。

彼らは常に追い立てられ、何かを探している。

彼らは、生きることそのものが、通常の人より遥かに困難ぢゃ。
ちなみに、おず君はアダルトチルドレンぢゃ。

生まれてくる前に設定する難易度は
一人一人違う。

だから、人と比べて、
なぜ、自分ばっかりこんなと嘆くのは無意味なことぢゃ。

しかし、してしまうことぢゃろう。
誰でもが強いわけではない。

多くの人が自分が成長しなければ、乗り越えられない壁を
自ら選んで、設定する。

だからこそ、守護霊という立場から、お伝えしたい。

困難に出会ったら、誇りをもちなさい。

そのハードルを、自ら設定した自分自身に。
そして、それにしっかりと向き合えば、乗り越えられるところまできた
自分自身の旅路に。

 道はひとつではない。

いくつもある。

どれもが正解であり、
どれもが間違いぢゃ。

そこに意味を見出すのは
そなた以外、他にいない。

とまっているように感じるかもしれない。
まるで前に進んでいるどころか、
自分だけ、後ろに下がっているように感じる人もいるかもしれない。

しかし、無意味な人生を過ごす者などひとりもいない。

たくさん人を殺した人の人生ですら、
次の生で殺した数だけの人を救う人がいる。

善人も悪人もいない。

あるのはたくさんの過程と、そなたの人生というシナリオにおける
必要不可欠な名役者がいるだけぢゃ。

その物語の中で、そなたはそなた自身を描くぢゃろう。
白いキャンバスに絵を描くように。

ひとつの価値観、人の決めた枠組みなどに収まることなく
そなたが、そなたを見て、選びなおし、解放するのぢゃ。

そなた以外に、そなたを救える人は他にいない。

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