意識と無意識

おじぃぢゃ。人には意識と無意識があるぢゃ。

「思った通りのことが現実になる」という言葉をご存知かな。ジョセフ・マーフィーという人を始め、実に多くの「成功法則」を語る人々が、この言葉を言うとる。

しかし、この言葉にはひとつ、ポイントが隠されておる。それは意識で思うのか、無意識で思うのか、ぢゃ。

意識とは自分が認識できる範囲の、自分の考えや行動や、言葉ぢゃ。無意識とは意識を支える、自分の知らない自分のことぢゃ。

思うということの全体を100とすると、意識が20であれば、無意識が80ぢゃ。それぐらい自分の知らない自分というものが大きいということぢゃな。もちろん個人差がある。人によっては、より深く自分を認識できておるし、ほとんど分からず、目隠しのように生きている者もおる。

しかし、生きている人間というのは、ほとんどが目隠しで生きているといってよいぢゃろう。実に多くのことを忘れておる。

「思った通りの現実」を意図的に実現させるにあたって、問題が起こる。それは意識と無意識の戦いぢゃ。

例えばお金がほしいと思う。お金のある現実を望む。20%の意識の方で。

しかし、残り80%の無意識が、お金を欲することは卑しいことだと思う。お金を得ることはいけないことだ思う。お金持ちは悪人で、聖人はお金をもたないと考える。

この場合、80対20で、無意識が勝利する。
つまり、お金の無い現実が実現する。

いずれにせよ、思い通りの現実であることには変わりない。しかし、その「思い」がどのあたりのことを指しているかによって、話は大きく変わるのぢゃ。

では、無意識で思えばよいのかと思うが、それもなかなか簡単ではない。無意識のフリをした意識がほとんどぢゃ。これでは、何度繰り返しても、同じになるどころか、場合によってはもっとひどくなるぢゃろう。

無意識にアクセスする、より身近で簡単な方法。
それが、手帳、なのぢゃ。

だから、手帳は便利さも必要ぢゃが、それ以上に、感覚的に自分がしっくりくるもの、お気に入りのもの、近くにおいておきたくなるもの、見てると元気になれるようなもの、手触りがすきなもの、色と形が好きなものが良い。無意識とは、そうした感覚的なものと仲が良いのぢゃ。

そして、この手帳自体を自分の無意識への端末と考えてみてはどうぢゃろう。

考えても分からない問題は、無意識への質問として、書き留めておくのぢゃ。そして、たまに無意味にぱらぱらと眺めるのぢゃ。すると、忘れた頃に、お風呂に入っているとき、夜寝て朝起きたとき、散歩の最中、子供と遊んでいる時、料理をしている時、ふと「あ!そっか!」と返事が返ってくる。それをまた、手帳に書き込む。

世の大業を成し遂げた人のほとんどが、なんらかの形で、このような無意識との対話、交流、遊びを楽しむ術を持っておった。

それはノウハウや手法、戦術、というよりかは、遊び、ゲーム、芸術の感覚に近い。それが機能しだす経過というのは、本当にわくわくと興奮するものぢゃ。

最初のゲームをはじめよう。

人は、何度も見るもの、思うもの、考えるものを、無意識に引き寄せるという不思議な力がある。

手帳に「無地のリーフレット」をはさみ、そなたが欲しいと思っているもの、手に入れたい状況を象徴するシンボル、それらの「イメージ」を起こすものを、ベタベタと貼るのぢゃ。

雑誌の写真の切り抜きやインターネットのホームページ画像のプリントアウトなど、いろいろあるぢゃろう。

そして、それらの自分の欲しいものスクラップ集を、ねる前、起きた後、電車に乗っている時、車で渋滞している時、意味もなくながめてみなされ。「欲しい」「手に入れたい」などと念じないことがポイントぢゃ。それをやるくらいなら、むしをそれを手に入れた時にどんな気分かを想像するほうが、いくらか効果的ぢゃろう。

これは大してお金もかからない。騙されたと思ってやってみなされ。バカバカしいと思って、やってみなされ。実際、バカバカしい、どうでもいいことぢゃ。

しかし、せめて、自分が何を望み、欲しがっているのかぐらいは分かるぢゃろう。むしろ、そのことをいかに知らないで生きてきていたかに驚くぢゃろう。

ポイントは「正直になる」ということぢゃ。お金が欲しいならお金が欲しい。男が欲しい。女が欲しい。家が欲しい。車が欲しい。健康が欲しい。美しさが欲しい。権力が欲しい。名誉が欲しい。認めてもらいたい。愛して欲しい。自分が欲しいものを、羅列し、そこにある自分の欲している「感覚」を見つけてみなされ。

この手帳を人に見せてはいけない。おそらく、ほとんどの人が、見せるものと見せないものとでは、内容が異なってくるぢゃろう。ここでは、誰もみてないから、なりふりかまわず、自分の欲しいものを欲しがって良いのぢゃ。具体的に言葉にしてみなされ。そして、そのイメージを探すのぢゃ。

自分が欲しいと思うこと自体に罪悪感をもつ人は結構多い。例えば、理想の恋人。大好きな人と一緒に過ごす時間、体の触れ合い、温もり。そういうもの自体を汚らわしいなどと断固拒絶する人は結構多い。

なぜ、そう思うのか。本当はどう思っているのか。そのあたりのことが、すとんと腑に落ちたのであれば、その思いが実現されるのは時間の問題ぢゃ。思いそのものを、わしら守護霊はコントロールできぬが、思いがはっきりとしておるときは、その実現をサポートすることこそが、わしらの仕事ぢゃ。

逆に言うと、生きている人が「自分が欲しいもの」「したいこと」をはっきりさせてくれないと、わしら守護霊は仕事がなくなる。失業するのぢゃ。日本には、特に「自分の欲しいもの」に対する罪悪感の持ち主が多くて、「失業守護霊」が多くおる。

だから、そなたたちが、自分の欲しいものをはっきりさせてくれることは、わしら守護霊の雇用促進に繋がる。人助けならぬ、霊助けぢゃ。ふぉっふぉっふぉ。

この世の中には良いも悪いもない。良いか悪いかを決めるのは、そなた自身ぢゃ。わしら守護霊ですら、そなたたちに良い悪いを要求しない。欲しいものは欲しいのぢゃ。だから体験してしまえば良いのぢゃ。人にしたことは全て自分に返ってくると知りつつ体験した良いのぢゃ。手に入れてみて、欲しかったものと違うと思えば、選びなおせば良い。それを体験できるのは生きている内だけぢゃ。体験とは体の経験ぢゃからな。わしらには体がない。

欲しいものは、変化するぢゃ。だから、ずっとひとつを求めていなければ、だらしがないというわけでもない。好きなだけ、好きな時間、好きなものと一緒にいたらよい。その体験を味わえばよいのぢゃ。

そういうことで、失業守護霊の雇用促進、ひとつよろしく頼むよ。
ふぉっふぉっふぉ。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする