ポストイット活用

手帳の使い方の大きなひとつにTO DOリスト、やることリストというのがある。これは使いようによっては、やっかいにもなるし、有難い友達にもなる。

今から言うのはひとつのアイデアじゃ。
自分なりに使いやすい形に加工して使うのが理想ぢゃ。

アイデアというものは、本来、自分の内から沸いたものでないと
なかなか役に立たない。

そういう意味で、アイデアを教えるというのは無意味どころか、
有害に作用する場合も多いんぢゃ。

人に教えるということを仕事にしている人はそのことを毎日感じるじゃろう。
おず君、君は小学校教師をしていたときに、
先生に対するパソコンの先生もしておったな。

「あー、はい、してました。」

そのときに教えれば教える程できなくなっていった人はおらんかったかな?

「あー、いたいた。いましたね。
最初は分かっていたことも、僕が教えれば教えるほど分からなくなってっちゃう人。

とにかく分からないことは質問することが良いことだと信じているようでした。
僕も質問には全て答えていたんですが、その内、その人は自分で考えたり試したり
ということをしないようになっていきました。

失敗をすることを恐れるようになっていったという感じかな。

皮肉なことですが、僕が教えれば教える程、その人は、出来なくなっていったんです。」

つまりは、これがアイデアを外から教わる場合じゃ。
学校教わる授業というものはこれが中心ぢゃのぉ。
だから、そうなるのも無理はない。

アイデアを自分の内側に取り入れる時、
肝心なことは、自分のインスピレーションのヒントとして、
アイデアを使うことぢゃ。

自分の内側にあるものを引き出す道具として、
他人のアイデアを使うようになると、
実に無限に可能性が広がるのぢゃ。

さて、前置きが長くなってしまった。
この話は、手帳の使い方、それもやることリストの使い方ぢゃ。

■やることリスト

1.幅の細いポストイットを買う。
2.色は3種類。
3.「やらなきゃいけないこと」「やりたいこと」「?」の3つにそれぞれ対応させる。
4.「やらなきゃいけないこと」には期限を書く。
5.スケジュールリーフレットの期限日に、その「やらなきゃいけないこと」を張る。
6.「やりたいこと」は、無地のリーフレットにはっておく。
7.毎晩、寝る前に翌日の予定をたてる。
やりたいことの中から明日やりたいことを、スケジュールリーフにはる。
8.やりおえたものは「やりとげたことリスト」につけかえる。箱などに入れても良い。
9.「?」の用途は、自分で決める。時期によって変えるようにしてもいい。
10.ポストイットを持ち歩き、したいこと、やりたいこと、
やらなきゃいけないことを思いついた時、
すぐに書いて、手帳やパソコンの画面の横など、よく見る場所に貼っておく。

[効用]

パソコンにメモリがあるように、人間の脳みそにもメモリがあるぢゃ。
人間とパソコンの違いは、パソコンは複数の思考を、一度に出来るが
(本当は小刻みにひとつづつ、少しづつしてるのにすぎないのぢゃが)、
人間は一度にひとつの思考しか出来ないということぢゃ。

思いついた時、忘れないようにする為にメモリを消費する。
その時、次のアイデアは沸かなくなる。
万が一、次のアイデアが沸いてしまうと、前のアイデアは忘れる。

そういう構造になっておる。
忘れて、思い出すことが出来ればよいのぢゃが、
思い出すということは、きっかけがなければ無理ぢゃ。

しかし、このきっかけが都合よく用意されているわけではない。
そこで、ポストイットをきっかけとして使うのぢゃ。

きっかけを残しておけば、安心して、忘れられる。
忘れて、頭をからっぽにしておけば、次のアイデアが自然に沸いてくる。

実行の段になったときに、ポストイットのアイデア目次をみながら
次になにやるかを考えずに、目の前のことだけをひとつづつやっていけば、
いつの間にか、全てを終えることが出来る。

頭の負担、特にメモリを軽くする、つまりは、安心して忘れられるようにすること。
これが、ポストイット手帳のエッセンスぢゃ。

そして、安心して忘れることが出来ると、実は無意識にアクセスしやすくなるのぢゃ。
頭が空っぽのときに思うことが、現実を創る。

もし否定的ないやなイメージがわくようなときは、
そういうものをポストイットにはっておいて、安心して忘れてもいい。

ポストイットに書くのはアイデアに限らない。
また、どうしても忘れられないいやなことは、手帳に思い切り、
手紙や日記のように書きなぐっても良い。

たまっていたものがいくらか軽くなるぢゃろう。

この方法は、実に未完成だ。
日が立つごとに進化するし、わしも書き直す。

アイデアは、それに繰り返し注目することで、生き物のように成長する。
だから、目に見える形が肝心なのぢゃ。

手帳しかり、ブログしかり。
手帳のやることリストに「ポストイット」を使う。
そしてやり終えたこと、やり遂げたことを、しっかりと見える形で残す。

これがこのアイデアの種ぢゃ。

そこから、どのように育て、成長するかは、人それぞれ。

もちろん、どの種を使うかどうかも、選べることじゃ。
全ては自分が「心地よくあれるあり方」の手段に過ぎん。

人それぞれ、心地よさ、わくわく感は違う。
そして、それは本人にしか分からんのぢゃ。

そなたが、そなたを助けるのぢゃ。

わしら守護礼は、やたらと感謝されたり、崇め奉られたりしても、
そのことによって、助ける助けないを決めることは有り得ない。

その行為の中に「頼る」という意図があれば、
わしらは助けない。

なぜなら、頼ることを助ければ、結局は、本人の力を奪うことになってしまう。
かつて、おず君が、誤ってしたように。

それは、相手を自分に依存させようとするには最高の手段じゃ。
依存をさせれば、相手は言うことを聞く。
やがて、利用することも出来る。

しかし、わしらは、そなたらを利用する必要がない。
メシを食わずとも生きていけるし、裸だっていくらでも見れる。
空も飛べる。いきたいところにいける。

やりたいことはなんでも出来るんぢゃ。
そなたを何に利用したらよいのか、考えなければならないほどぢゃ。

わしらが助ける時は、唯一、そなたがそなたを助ける時ぢゃ。
そなたの周りの存在は、それだけを待っているんぢゃ。

聖書にこういう言葉があるぢゃ。
「神は自らを助ける者を助ける」

わしが言うことは、自分自身の助け方のヒントに毛がはえたような、
その毛の先にいつの間にか咲いていた花のようなもの。

まぁ、つまりはまったくあてに出来ないということぢゃな。
勝手にがんばりなされ。ふぉっふぉっふぉ。

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