■消化
消化という話をします。
おずぃさんではなく、おずとして。
8月下旬。
私は胃のあたりに激痛を感じ
救急車で運ばれました。
胃カメラをのみ
検査の結果、十二指腸潰瘍ができていることが
判明しました。
その後、薬で大分、症状は改善され
今は、療養しています。
で、今から話すのは
今回、学んだことについてです。
消化器官の問題。
これは、症状として出たのは最近ですが
問題としてはずいぶん前からあったように思います。
実際、胃腸の調子はいつもあまりよくはありませんでした。
で、なんでだろうと
考えてみると
ひとつのことが思い当たりました。
それは
よくかまない、ということなんです。
よくかまない、にはふたとおりあって
ひとつめは
物理的によくかまない。
私は食事が異常に早いです。
小学生の給食のとき、
おかわりしたいものがあると
全部食べた人からおかわりできるため
それ狙いでやたら速く食べていた、というのもありますし
なんていうか、じっとしていられない性格、というのもあると
思います。
とにかく速い。
のみこむ。
で、同じことが
仕事に対してもいえると思うんです。
私は
仕事が異常に早いです。
特に皿洗いのバイトしていたときなどは
その速さにいつも驚かれました。
くそ早いんです。
単純作業をこなす。
これがとにかく速い。
速ければいいと思っていました。
速い人が偉いと思っていました。
で、これも
見方によっては
「よくかまない」ってことだと
思うんです。
で、早くできないとですね
こっからが多分、病的な部分だと思うんですが
早くないと罪悪感にかられる、っていうのがあるんです。
なぜなんでしょうね。
でも、あるんです。
学校の勉強、
塾なんかでも
早く計算することばかり、訓練していたように思います。
そして、初めてやったアルバイトでも
ゆっくりやってるつもりはなかったんですが
「もっと早くやれ、おまえこの仕事をなめてんのか。」
と叱られたことを昨日のことのように
覚えています。
とにかく早く、速く。
なぜ、それするかなんて考えない。
どうして、自分が今それをやらなきゃとか
疑問をもたない。
この勉強が
大人になってどんなふうに役立つのかとか
本当にやる必要があるのかとか
なんのために生まれてきたのかとか
疑問をもたない。
もっていたら、生きていけない。
多分、勉強や仕事に限らず
ありとあらゆる面で、
そうやって生きてきたような気がするわけです。
そうやって
かまずに、考えずに
飲み込んで生きてきた。
そうやって
自分を守るしか
生きる方法がなかった。
しかし、その生き方では
体が悲鳴をあげはじめた。
その生き方では
これから先は無理のようだ。
それが
私の現在地のような気がします。
じゃあ、どうするのか。
答えなんて、多分ないんです。
いや、説得力のある答えなんて
あってはいけないような気がします。
それこそ、
今までの繰り返し。
もっと疑問をもって
ひとつひとつ、ちゃんとかんで
吐き出したいものは吐き出して
自分で考えて
ぶつかるべき人とはちゃんとぶつかって
生きていく必要があると
ひしひしと感じています。
スムースさなんて、
どれだけの意味をもつんでしょうか。
うまくやることなんて
本当は必要ないのかもしれません。
実際、今やりはじめているのは
ゆっくりでもいいから
丁寧にやるということ。
はっきりいって、
ものすごい苦痛です。
もう体が拒絶するぐらい。
飲み込むことが習慣になっていますから。
食べているときも
気をぬけば、すぐ、もうスピードで食べてしまいます。
だから、なるべくなるべく
ゆっくり。
やってしまったら、やってしまったで
自分を責めない。
やっちゃった。
それでおわり。
それをやりはじめて
間もないんですが
なんというか
今まで見たことの無い世界が
ほんの少し見えてきている気がします。
どんなに旅しても
みつけられなかった何かのような。
ゆっくり噛む。
腹八分目。
足るを知る。
今までとは
方向性が真逆で
拍子抜けって感じなんですが
何もかも綺麗さっぱり解決というわけでもないんですが
でも、
静かな感覚みたいのがあります。
