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おずぃぢゃ。
表現して生きる全てもの者へ。
そなたは
もしかしたら
もう手遅れだと思っているかもしれない。
表現して生きることに
優希を失っているかもしれない。
空しさに打ちのめされ
立ち尽くしているのかもしれない。
なにもできないと
信じているかもしれない。
絶望の谷の淵で
ひざをかかえて
闇を見据えたまま
動けなくなっているかもしれない。
もう遅い。
こんな自分ぢゃ・・・
もう、なにもできない。
もう、こんなに壊れてしまっているんだから・・・
あんなに輝いていない。
あんなに、かっこよくない。
あんなに、きれいじゃない。
あんなに、パワフルじゃない。
なにももっていない。
なんにもない。
誰もふりむいてくれないとか。
誰にも見向きもされないとか。
誰にも必要とされていないとか。
今から
言うことをよく聞くのぢゃ。
表現とは
今、感じているそのままを
そのまま表現する者のことを言う。
振り向かれることとか、
そういうのではないのぢゃ。
いかに、そのままであるか。
そこに、価値がある。
そこに、人は共鳴し、響く。
こうじゃなきゃいけないとか
これじゃだめだとか。
これをしなければとか
あの人に認めてもらわなければとか。
これができるようにならなければとか。
これがあるからだめだ、できないとか。
それは
表現すること
とは正反対のところにある。
今いるその立ち位置から
そのまま表現することに価値がある。
それを聞いた人が
自分を許すきっかけとなる。
そう、だから、価値がある。
表現の最初のプロセス。
許す。
許せない自分を
許す。
そこに
表現のスタートがある。
こんな自分が
そのままでできること。
こんな自分の
こんなってどんななのか?
それを描き、
表現すること。
それを許し、現す。
ここに光と響きがある。
人はつながっている。
記憶はつながっている。
ひとつの出来事の記憶は
常にひとりだけではなしえない。
ひとりの出来事の記憶ができあがるまでに
少なくとも、そなた自身を産み、育てた者の記憶があり
さらに、その者を育てた記憶がある。
それをたどっていくと、
もともとひとつのものから生まれた
「つながった記憶」であることが、理解できる。
そなたがそなたにすること。
それは
ほかのすべてに対してすることと。
だからこそ
今のありのままの自分を
表現することに価値がある。
誰が見向きもしなくても、
そなたがそなたを感じ、表現する、ということは
それだけで、世界を変える。
そのことを
無意識に感じた者が
そなたの表現を見、聞き、
求める。
そのままで良いのぢゃ。
すごいと思われるように
見せる必要はない。
そのままで、よい。
そのままで、描いてご覧。
今の自分を。
どうしようもない、そのままを。
命の反動を。

