おずぃぢゃ。
言葉の力について。
言葉には力がある。
どんな力かというと
自分を定義する力ぢゃ。
言葉を軽く扱っているものほど
この力に気づいていない。
言葉を軽く使う者ほど、
この力を失っている。
自分を定義する力を失うと
人に定義されるばかりの人生になる。
評価。
順位。
収入。
それらを自分と思い込む。
自分を自分が定義できない限り。
人には
自分を定義する力が
生まれつき備わっている。
それは言葉によってなされる。
日記を書いてごらん。
それは決して、人には見せてはならない。
あなただけの
あなたとの日記帳。
それはあなた自身と
会話するための道具ぢゃ。
東急ハンズなどで
一番お気に入りの日記を買っておいで。
持ち歩きやすい、
もっていると嬉しくなるようなデザインのもの。
そこに
感じていることをそのまま書いてごらん。
人には決して言えないこと。
言わないこと。
赤裸々に。
そのままに。
正直に。
ありのままに。
絶望。
悲しみ。
人には言えないこと。
言っていないこと。
こんなこと書いていいの?というようなことほど。
こんなこと、思っていいの?ということ。
こんなこと、感じていいの?
というものほど。
ほとんどの人は
自分が思っていることを知らない。
人に
「自分はこう思っている」
ということは
本当は自分は思っていない。
ということを知らない。
そこにギャップがある。
だから、自分にしらけている。
こう思うべき。
こう感じるべき。
特に人に教える立場にある人ほど
そう思う傾向がある。
教師なんか絶望的だ。
誰かさんもかつては小学校教師だったそうぢゃが、
どうしようもない。
常に考える、感じることを
モデルとして要求される。
自分に出会うのぢゃ。
自分を描き、探し出し、あらわすのぢゃ。
自分が見つけ出さなければ
自分が描き出さなければ
誰もそなたを知ることはないぢゃろう。
正直に。
思った瞬間に。
思ったことを。
こんなの書いていいの?
と考える前に書くのぢゃ。
そのまま。
ありのまま。
OKをだすのぢゃ。
怖いかもしれない。
どきどきするかもしれない。
恐ろしくなるかもしれない。
楽しくてしょうがないかもしれない。
破廉恥かもしれない。
情け無いかもしれない。
過去のことはあまり書かない。
未来のことも。
今、この瞬間、ここについての
感じていること、思っていることを、そのままに。
こんなの書いてどうするの?と思うものほど、
むだと思えるものであればあるほど、
書き表してごらん。
やがて、そこにそのままの
自分をみて
驚き、呆れ、失望し、あきらめ
やがて、歩き出すぢゃろう。
自分の真の姿を知る者は
もはや誰にも支配されることのない
自由を得る。
これは何にも変えがたいものぢゃ。
芸術家と呼ばれる者たちが
意識的であれ、無意識であれ、
掴み取ろうとしているのは、
まさに、この真の自分、自由なのかもしれないし、
そうでないかもしれない。
いずれにせよ、はっきりしていることは
誰でもいつでも始められることであり、
お金で買うことのできないことであることだ。
自分に辿り着くのぢゃ。
