おはようございます。
おずです。
私、おずの先生のような人として
守護霊さんのおずぃさんがいますが
そのまた、先生の人がいます。
名前は、まだお伝えしません。
その人から伝言があるのでお伝えします。
■おずぃの先生から伝言
孤独が溢れている。
数々の孤独。
子どもが孤独になっている。
話しを聞いてくれる人がいない。
一人、部屋で遊ぶ子ども達。
彼らはゲームがしたいから一人でいるのではない。
他に楽しいことがないから、
ゲームに没頭している。
一時的に没頭することがあっても
ずっとゲームに没頭したい子どもはいない。
なぜなら、生きている人間だからだ。
彼らは話し相手が必要だ。
何かを教え込む大人ではなく、
好きな話を好きなだけ聞いてあげらる大人が。
孤独があふれている。
数々の孤独。
お年寄りが孤独になっている。
話をしてあげる人がいない。
施設でドアのある方角を
一日中、みているお年寄り。
家族が来るのを待っている。
お年寄りは
知恵の宝庫だ。
たくさんの体験を積んでいる。
生きる知恵をもっている。
そして、
精神的に成熟している。
彼らほど、
子どもを育てるのに適した人々はいない。
子どもを見守るのに、適した人はいない。
教えること、
見本を見せること、
それはできないかもしれない。
それはできる若い先生に
してもらえばいい。
子どもがなにより必要としているのは
見守られること、話を聞いてあげること、
ほめてあげること、認めてあげること。
彼らは扱われたように、育つだろう。
自立したものとして扱われれば、自立したものとして。
判断できないものとして扱われれば、判断できないものとして。
つなげる。
子どもとお年寄りをつなげる。
ここにひとつの解決がある。
子どもの孤独と
お年寄りの孤独が同時に解決する。
更には、学校の人手不足、
教師の負担が軽減される。
学校は、もっと、
「見守る人」を受け入れる必要がある。
一定の基準を定め、
審査をしてからでもよいから。
教育の現場で、
無償でもいいから、手伝いたいという人は
大勢いる。
いてもたってもいられないという人が
大勢いる。
善意は既にあふれんばかりにある。
スムースでないだけなのだ。
親の活動が鍵となる。
親が中心になって、教育が再生した例がある。
日本でもそれは既に
いたるところで始まっている。
神奈川県藤野。
千葉県長生郡。
求めれば、情報は得られるだろう。
役所や政治に期待して、不満を言っても始まらない。
親が集い、話し合い、
作っていくことが必要だ。
子の世話、親の世話
最も忙しい世代だ。
だからこそ、
支えあうことが必要だ。
助けて欲しいという人もいれば
助けたいという人も必ずいる。
助ける人もまた
助けることで助けられる側の人となる。
助けを必要とする人というのは、
同時に、人を助ける人でもある。
集うこと。
それは、近くにいる人に
興味をもつことから始まる。
目があい、挨拶をすることからはじまる。
不審がられるかもしれない。
無視されるかもしれない。
ありのままに。
かえる必要はない。
傷ついているかもしれないし、
もしかしたら、こちらがあいてに価値観を
おしつけてしまっているのかもしれない。
相手の反応よりも
自分の有り様に注意深くあれ。
そして、なお、集うこと。
お互いに正直に
感じていること、思っていること。
ただ、伝えあう場所。
もしかしたら、すでに同じ気持ちで活動している人が近くに
いるかもしれない。
気づいていなかっただけかもしれない。
その人もまた、もどかしく、苦しんでるかもしれない。
動き出すことで
同じ志をもつ人の存在に
気づくだろう。
