夕飯食べていないおずです。
少し熱中するとすぐ、これです。
■自分が自分である意味
私は30近くのアルバイトをしました。
最初はマクドナルドのアルバイト。
時給730円スタートでした。
たくさん働いても、月7万円ぐらいが限度でした。
当時、高校にも通っていましたし。
やがて、いろんなアルバイトをするようになり、
時給2千円以上のもの、
なかには3千円のものもありました。
さらに公務員と呼ばれる職にもつき
一生が保証されたかのような時、
いつも決まって思うことがありました。
「これ・・・僕じゃなくてもいいよなぁ。
この仕事・・・僕がやらなくてもいいよなぁ。
この仕事をやるのに、僕である意味はないなぁ。
・・・僕にしかできない仕事がしたいなぁ・・・。」
いつも仕事をやめるとき
このことを思っていたような気がします。
自分の一部しか
使っていないような感覚。
生活は安定している。
食べるものに困らない。
旅行もそこそこいけて、
そこそこ尊敬もされていて。
信頼されていて、
仕事も任せられている。
・・・でも、
これは僕じゃなくても、できる。
僕しかできない、仕事って?
僕が僕である意味って?
こんな思いがずっとあったんです。
ネットで稼ぐときも
・・・これ、僕じゃなくてもいいなぁ、と思えることは
まるでやる気が起こりません。
キャッシングで検索上位に表示させると
稼げるらしい。
そうなのでしょう。
でも、僕がやらなくても
誰かがやるわけで。
僕がやったら、お金が入るでしょうけれども
地球上にあるものは、変わらないわけで。
いわゆる、競争というのは
今あるものの奪い合いにすぎません。
これは別に、僕じゃなくてもいいわけです。
こういうことには
ほんと、面白いぐらいに興味がわきません。
体が動かないんです。
それやらなきゃ死ぬよ、と言われたら
多分、やることより、死ぬことを選ぶ気がします。
まぁ、しぶとくなにかしらの方法で生きると思いますが。笑
やっている人を否定はしません。
人それぞれの信じるものがあると思うし、
みんな自分と同じ考えだったら気持ち悪くて仕方ありません。
ただ、私は
ないものを作っていたい、
という思いがあります。
新しいもの。
世界を変えるようなもの。
自分の内側とつながっているもの。
星とつながっているもの。
語られぬ歴史と
つながっているもの。
自分の全部を使うもの。
やる意味があること。
子どもが幸せになれること。
私の知る限り
そのほぼ全ておいて
道というのがありません。
マニュアル、
ノウハウというのがないんです。
誰も、
私という人間が誰であるかなんて
教えてくれやしないんです。
どんなにたくさん本がおいてある図書館にも
私という人間についての取り扱い説明書のような本を
おいてある図書館ってないんです。
どんな高額の塾やセミナーにいっても
あなたはこういう人ですよって教えてくれるところってないんです。
自分が分からない、という不安。
自分を自分が決めるという責任。
それは限りなく重い。
誰かにきめてもらったほうが
どんなに楽か。
でも、わかっているでしょ。
決して、納得なんかしないことに。
決して、言われたとおりの自分に
おさまりきらない自分がいることに。
だから、
自分で責任とるしかないんです。
自分がどうあるか。
なにをするか。
それは、ながされてきめるんではなく、
震えながらでも、立っているのがやっとでも、
ひ弱な自分を、晒さないと、始まらないんです。
自分をごまかしたつけというのは
確かなダメージとして、
自分だけに必ず帰ってきます。
それを繰り返せば、
必ず、廃人みたいになります。
自分が誰だか、
分からなくなります。
そして、もはや
それすら、
どうでもよくなります。
それが
自分を無視して、生きる人のなれの果てです。
衝動というのがあります。
抑えることのできない衝動。
なぜか今、旅に出たい。
歌いたい。
あの人に会いたい。
絵を描きたい。
物語を描きたい。
海に潜りたい。
あの家に住みたい。
理由なんて、分かりません。
説明を求められても、まるでできません。
やってみて
あとから、そうだったのか、と気づきます。
幻だったとしたらどうしますか。
今、目の前に見えているものは全て。
お金もテレビも、パソコンも。
全部全部、ただのスクリーンに映された影のようなものだとしたら。
人に評価してもらう必要ってありますか。
必要以上に所有する意味ってありますか。
その仕事をあなたがする意味って、
ありますか。
