おずぃぢゃ。
おひさしぶり。
今日は、完璧主義者について話そう。
完璧主義というのがある。
完璧じゃないと。
100点じゃないと。
許せない。
常に完璧を目指す。
100点を目指す。
結論から言って
人は完璧にはできていない。
人どころか、
この宇宙は完璧にはできていない。
なぜか。
成長しているからぢゃ。
成長しているということは
逆に言うと、完璧ではない、100点ではない、ということぢゃ。
そういうふうにできている。
そういうふうにつくってある。
宇宙とは試みぢゃ。
実験なのぢゃ。
試しているのぢゃ。
それはひとつの遊びぢゃ。
そなたたちも子どもの頃、
砂場で山や川や池や、町を作ったことぢゃろう。
それはどんどん成長したが
完成はしなかったことぢゃろう。
完成、完璧。
そこには、参加の余地がない。
人は参加したい。
だから、完璧なものを
つまらないと感じる。
完璧であることは
このように
それほど、価値があるものではない。
完璧を目指す人が思っているほど、
人は魅力を感じていない。
完璧なものには。
むしろ、不完全のまま、
完璧ではないまま
準備不足のまま
そのまんま、やってしまうことに
意味があり
価値があり
魅力がある。
無理なんじゃない?というところから。
誰もがやらないところから。
そう、そこから。
そこから、実は、始めることができる。
そのことに気づくこと、始めること。
それを自分を許す、と言う。
人の意見を聞くのをやめること。
思ったとおりにやってみること。
やった結果を自分で検証し、確かめること。
そして、また、やってみること。
自分のアイデアを一番に優先すること。
やってみること。
それを自分を許すと言う。
だいたい、人に相談したところで
「なぜ、あなたがそう思ったか」は分からない。
なぜか、そう思うのだ。
自分すらわからないのだ。
説明を求められても困るだろうし、
する必要もない。
したいことはしたい。
それが、迷惑にならないのなら、
法律に違反しないのなら、やってみればよい。
完璧主義者は、
常に万端に準備と環境を整えようとする。
そして、いつまでも始めない。
当然ぢゃ。
準備は完璧にはできない。
常に新しい心配がでてくるぢゃろう。
このように、
完璧を期すものは、
いつまでたっても始められない。
だから、やりながら準備をすればいい。
まず、走り出してしまうことぢゃ。
自分の足で。自分の力で。言葉で。
その先でしか見えないものをみたらいい。
それはそなたにしか見えない。
そなたにしか見えない世界があるのぢゃ。
それはそなたに
見つけられるのを、今か今かと待ち望んでいる。
そなたがやりはじめることでしか
見つけられないもの。
そなたはやりはじめることができる。
そなたはやりはじめることができる。
