おずぃぢゃ。
おひさしぶりぢゃのう。
たまにでてくるからいいんぢゃ。
■お金と想念
今日はお金と想念という話をしようかの。
これは、今稼げている人にとっても実に役立つ話だとは思うが
何より、今稼げていない人にとって役立つものぢゃろう。
お金、とは想念が乗る。
このことは覚えておいたほうがいい。
お金とは、エネルギーぢゃ。
その特質は、水に似ている。
循環し、流れ、廻り、行っては戻るもの。
そう、水に似ている。
水からの伝言
という本があるのをご存知かな。
あの本では
水に ありがとう という言葉を言うと
綺麗な結晶を作ると書いてある。
あの話は実話ぢゃ。
わしらの世界では
あまりにも当たり前の話なのぢゃが、
この地上にあっては、こうやって形にしなければ
理解されない。
形にしても、偶然だと言う人も多いし
無関心な人はもっと多い。
そういう意味では、
この星の文明レベルというのは、まだまだ、進んでいるとは言えない。
パソコンができて
インターネットができて、
世界中の人とコミュニケーションができるから
文明的に進んでいると思う人がいるかもしれない。
しかし、
一方では、戦争が毎日必ずどこかで起きており、
ひとつのパンが食べられぬが故に、飢え死にする者が多数いる一方で
毎日、大量の食べ物が手もつけられずに捨てられている。
そなたたちの文明は、まだ、そのレベルぢゃ。
宇宙的に言えば、限りなく原始的と言える。
そなたたちは、猿に算数を教えることができないように
わしらもまた、そなたたちに伝えられることは恐ろしく限られている。
しかし、わしらはそなたたちを、軽蔑はしていない。
さげすんでいるわけではない。
植物を育てたことはあるかな。
種から芽が出て、それが大きくなっていく様を見守る中で
その芽を、「まだまだだな」といって、蔑むものはおるまい。
最初のほうほど、弱く、デリケートで、手間がかかる。
大切に大切に育てる必要がある。
わしらにとって、そなたたちは、そのような存在ぢゃ。
そなたたちは、たまにうぬぼれる。
お金があるから、食事があるから、贅沢ができるから、
人に命令ができるから、注目されているから、とうぬぼれる。
うぬぼれは成長を止める雑草のようなものぢゃ。
雑草はぬかなければならない。
だから、こういう話をする必要があるのぢゃ。
話を戻そう。
お金と想念の話。
お金は水のようであり、想念が乗る。
とは、どういうことかというと、
例えば、人に喜んでもらい、そのお礼として受け取る100万円と
人を騙し、奪い取り、相手に悔しい思いをさせて受け取る100万円は
似て非なり、全く異なる。
あたりまえのことぢゃ。
しかし、このあたりまえのことが、あたりまえでない人がいる。
もう少し詳しく話すと、
悔しい思いをさせて、受け取ったお金は
やがて、今度は自分が悔しい思いして、奪われることになる。
なぜなら、悔しい思いをさせて、お金を受け取った時点で
その想念がお金に乗り移り、
そなたの想念に重なり、
そなたが、その悔しい思いをもつが故に、
悔しい現象が起こりやすくなるからぢゃ。
分かるかな。
与えたものが帰ってくるとは
こういうからくりなのぢゃ。
何も迷信や、宗教や、大人が子どもにいい子にしてなさいと
なだめるための言葉ではないのぢゃよ。
1+1=2 ぐらい 科学的で当たり前のことなのぢゃ。
(ほんとは、1+1=2 は当たり前ではなく、仮定にすぎないのぢゃが)
お金に限らず、物というのは想念が乗る。
ただ、お金は、感情が乗りやすいが故に、それが強いのぢゃ。
では、次に、過去色んな人の手をわたってきたお金だから
色んな想念がついちゃってしょうがないんぢゃないか、という疑問がある。
その疑問は無用ぢゃ。
なぜなら、これは守護霊をしてみるとよくわかるのぢゃが、
+の想念とーの想念のお金が混じりあうことは、ない。
不思議なことに、+の想念のお金は、常に+の使われ方をする。
逆もまたしかりぢゃ。
より強く、はっきりと、分かれていく。
作用と反作用ぢゃ。
銀行に入れたらどうか、という者がいるが、
不思議なことに、ちゃんと、分かれて、それぞれにふさわしいところにいく。
さて、ではどうしたらいいか、ということになるが
ひとつ問題がある。
それは「人は好きに勝手に考える」という問題ぢゃ。
どんなに善意で誠意を尽くして、精一杯こちらがやったとしても
被害者になり、嘆く人というのは必ずいる。
逆に、悪意で、関わったとしても
良いようにしか解釈しない人もいる。
この場合、相手のエネルギーが乗ってくるのか、ということぢゃが、
そうであり、そうでない。
まず、第一のポイントは、受け取り手の感情ぢゃ。
奪う、という行動を引き起こす
不安、恐れ、怒りを動機とした行いにより
お金を得たとき、不安、恐れ、怒りが強くなる。
逆に、喜び、楽しみ、慈愛、といった動機での行いにより
お金を得たとき、喜び、楽しみはより強くなる。
そういう意味では、
最も動機となる部分が一番、重要ということになる。
ひとつ例をあげるとすると
投資がよい例ぢゃろう。
投資とは、何か。
これを明らかにせずに、なんとなくやるものが多い。
あるものは、利子のため。
あるものは、安定のため。
そして、「他」からつけられる価格に
毎日、一喜一憂しながら、安定とは程遠い世界が幕をあげる。
不安や、恐れから投資をしたならば、
どんなにたくさんのお金を得たとしても
不安や、恐れから逃れられることはない。
常に、おびえて暮らすことになるだろう。
投資の面白さは「お金に働いてもらう」という考え方にある。
こう考えると、投資において、そなたは
「他」に従うことなく、「自」を中心とすえることなり
文字通り、自由、自に由る存在となる。
お金とはエネルギーなのぢゃ。
たくさんのお金があるとは
たくさんのエネルギーがある、ということになる。
エネルギーがあるならば、
それを使わずにとっておくというのは、
もったいない話ぢゃろう。
有意義に使われてこそ、
エネルギーは、つまりは、お金は、喜ぶ。
そして、有意義に使われる人のところに
自然に集まる。
その形態のひとつが、投資ぢゃ。
わかるかな。
今日はこのぐらいにしておこうかの。
お金には想念が乗る。
そして、それは、相手の想念というよりかは、
お金を受け取る時の、自分自身の動機による。
お金はためておかれるより、有意義に使われたがっている。
その形態のひとつが投資。
今は分からなくても、ある日、ぱっと分かるぢゃろう。
