おずぃぢゃ。
体に入る、という話をする。
誰の体に入るのか。
自分の体にぢゃ。
もう入ってるぢゃないか。
一概にそうとは言えない。
何が自分の体に入るのか。
ここでは仮に魂と言おう。
厳密には
もっとたくさんの層があるのぢゃが、
説明が長くなるので
ここでは仮に、そなたをあらわすものとして。
で、その魂が
体に入っている人とそうではない人というのがいる。
ちょっとはみでている人。
かなりはみ出ている人。
ぬけてしまっている人。
で、この度合いによって
いろいろな症状がでてくる。
体の節々が痛い、とか。
肩がこるとか。
眼がよく見えないとか。
忘れ物がひどいとか。
感情がない、とか。
なにしても楽しくないとか。
これらの症状がある場合がある。
これらの症状があるから
体からはみでているとは一概に言えない。
そういうときがあるという話ぢゃ。
で、この原因は複数ある。
しかし、もっとも多いのが
「大変な体験をした」人の中で
その体験から逃れたいと思ったり、
決めたりした人が、体からはみでる、ということがある。
今から逃れたい。
今じゃない、どこかへ。
ここじゃない、どこか、遠くへ。
旅が好きという人にも
二種類あって
本当にたび好きな人と
今、ここが嫌だから
逃げたい、という欲求をもっている人がいる。
で、そのかたがたに
今こそお伝えしよう。
今から逃れる。
これは一見、楽そうにみえる。
簡単そうにみえる。
今を生きること。
これは確かに、つらいこともある。
しかし、どちらが
大変かといえば、
自分から逃れること
今から逃れることのほうがはるかに
つらく大変ぢゃ。
冒頭の数々の症状もしかり。
また、いろんなイベント、事件があるぢゃろう。
それも次々に。
なんで、自分ばかりこんなにと。
まるで、そなたは揺り動かし
起こさんとせんばかりに。
火事であれば
揺り動かして、起こさなければ危険ぢゃ。
まさに、それに近い状況であるということぢゃ。
大変なことが立て続けに起こるというのは
もしかしたら、今ここから、自分から、
逃れようとしている、というひとつのサインかもしれない。
そういうとき
腹をくくって、正面から向かい合うだけで
案外、簡単に解決してしまうことがよくある。
さて、前置きが長くなった。
体にしっかりと入る。
これをする具体的な方法をお伝えする。
朝、目が覚めたときに
自分の体を着ぐるみのようにイメージし
その中に自分が入っていくイメージをする。
ちょうど、体の形をしている
自分の魂が
自分の体という入れ物に入って
手足を動かし、頭に入り、
自分のまんなかと、体のまんなかが一致する感じをイメージし
味わう。
外から、見えている自分の体を
イメージする必要はない。
主観でOK。
俯瞰する必要はない。
体に入る。
これがうまくいったサインとしては
視界が明るく感じる。
ということぢゃ。
それと、人によっては
体を重く感じる人もいる。
疲れているような感覚を味わう人もいるぢゃろう。
今まで入っていなかった体に入ったのだから。
で、スポーツをやってもやっても
体力がつかない、元気になれない、という人にとって
この方法はきわめて有効ぢゃ。
そなたの体に力がないのは
筋力がつかないのは、
つみあがっていかないのは
核
がないからぢゃ。
その核とは
そなた自身のことであり、
そなたが体に入っているかどうか、ということぢゃ。
ただ、体からはみ出ることが
一概悪いことかといえば、
案外そうでもない。
体からはみ出ているがゆえに
半分死んでいる状態で生きているがゆえに
そこからいろんな知識を得るものもいる。
感覚といえばよいぢゃろうか。
インスピレーションとも言う。
ただ、その場合でも
地に足がついていることが
非常に重要ぢゃ。
何が見えても
何が聞こえても
地に足がついていなければ
妄想と判断され
現実世界で生きることが非常に困難になる。
生きているうちは
しっかりと生きなされ。
しっかりと体に入り、味わうことぢゃ。
楽しいことも、つらいことも。
体はめんどくさい。
空も飛べぬし、ちょっとしたことで
すぐに傷つく。
だからこそ。
だからこそ、味わうこともできる。
味わうというのは
体がすることぢゃ。
体がなければ、味わうことはできない。
体にしっかりと入らなければ。
うたうことはできないぢゃろう。
体にしっかりと入る方法は
このイメージのほかにもいくつかある。
歌うこと。
これもひとつの方法ぢゃ。
それから格闘技。
これも体と魂を統合するのに
多いに役立つ。
それから、
ヨガと呼ばれるもの。
あれはまさに
体の中に入ることをする技術のひとつなのぢゃ。
それと演劇ぢゃ。
演劇はまさに「入っていく」ということをしている。
また、瞑想は、
体にしっかりと入っていないものにとっては
非常に困難ぢゃ。
イメージだけの世界になりやすい。
体が具体的に動く、動かすという
行程があるほうがいい。
第一、体に入っていない体が瞑想をしたところで
続けられない。すぐに眠ってしまう。それは
やったことがある人は誰しもしっているぢゃろう。
あと、人との会話ぢゃな。
他愛もない会話。
これも体に入るのに役立つ。
逆に一日中、誰とも話さないという人は
気をつけたほうがいい。
自分を認識することが困難になる。
しかし、人がどうしても好きになれない
という人もなかにはいるかもしれない。
そういうときは
自然や動物と触れ合うこともひとつの方法ぢゃ。
5感を使うこと。
においをかいだり、さわったり。
ほか、いくらでもあるのぢゃが
絵をかくこと。
楽器を奏でること。
土を使って、陶芸をすること。
粘土細工もよい。
料理もそうだし、
掃除、洗濯などの家事も
有効ぢゃ。
労働と呼ばれるほとんどのものは
この作業に有効ぢゃ。
しかし唯一、パソコンに向かっている作業。
パソコンのみに向かってする作業。
これは、気をつける必要がある。
自分から体に入る作業をしていく必要があるぢゃろう。
体に入ることは
確かにめんどうくさい側面もあるが
しかし、実に楽しいものでもある。
味わう。
これは、鮮やかな体験ぢゃ。
好きな人を切なく思う気持ち。
ぬくもり。
挫折や絶望。
それを超えた先にあるもの。
どん底で湧き上がってくる
内なる力。強さ。勇気。
これらは
自分の中に入ってこそ、
味わうことのできるものぢゃ。
そなたは歌うことができる。
そのとき、自由というものを
感じるぢゃろう。
