おずぃぢゃ。
受け取ること、について。
おずぃぢゃ。
受け取ること、について。
与えると、
結果として得られるよ
という話を、おず君は言ってきた。
そして、
それを実際に実証し、
やってみせた。
その上で
次の話ぢゃ。
与えることより
受け取ることのほうが、はるかに難しい。
もう、月と太陽ぐらい違う。
受け取る、ということは
難しいのぢゃ。
おず君は確かに与えた。
価値を作り出し、その報酬を受け取った。
しかし、そうやって得たものを
受け取るということが、
実はまだ十分にできていない。
多くの人がおず君に感謝しているのに
自分は不要な存在なのではないかと、
未だに、彷徨う。
そもそも、与えるというのは
受け取ることができる人のみが可能な技ぢゃ。
なぜなら、与えるとは
右にあるものを左に渡す行為だからぢゃ。
右にあるものを受け止められなければ
左に渡すことはできない。
そもそも。
周りにある世界は
そなたに与え続けている。
太陽。
空気。
水。
温度。
食べ物。
出会い。
情報。
しかし、多くの人は
それを十分に受け取ることができず、
与えられ続けていることにすら気づけず
何も与えられていないと嘆いてみせる。
おず君はかつて、
稼げ始めたとき
「すでに豊かなんだ」ということに
気づいたと言った。
当時は仕事もしておらず
借金しながら、生活費をまかなっていた。
でも、おず君は気づいたそうぢゃ。
雨風をしのげる部屋がある。
いつもインターネットにつなげられるパソコンがある。
今日、食べる食べ物がある。
家族が元気でいてくれている。
ギターがある。
車がある。
これを奇麗事、と言う人がいる。
彼は世界をあまりにも知らない。
これらは、決して当たり前ではない。
地球上でごくごく限られた人にしか
与えられていない環境なのぢゃ。
世界を見にいきなさい。
テレビやインターネットをみたぐらいで
知っているつもりになってはいけない。
現地にいかなくては
わからないことが、あまりにもたくさんある。
おず君は
かつてインドに6回行っている。
可能性がない世界があることを
知っている。
それでも、彼らの目は
輝いていた。
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話を戻そう。
おず君はほんの少し受け取ることができた。
結果として、ほんの少し与えることができた。
そして、これは
誰かが何かをしてくれたから、ではなく、
ただ、ただ、気づいたからぢゃ。
今、あるものを。
今まで受け取ってきたものを。
それだけでいい。
それだけで、世界は本当に違って見える。
そして、行動が変わり、現実が変わる。
世界を変えよう。
今、あるものに気づくのぢゃ。
