おずぃぢゃ。
教え、育てるということに関する
仕事に携わっている
すべての人へ。
教育、とは、
教え、育てる、と書く。
教えて
育てる。
教えるだけではなく
育てないと
その人のものにはならない。
人は手間がかかる。
で、おず君が話した
ゲインの話。
ゲイン
http://archive.mag2.com/0000182470/108785263.html
教える人の多くは
ゲイン強すぎぢゃ。
教えることしかない。
出力だけして
受け取らない。
張りっぱなしで
緩まない。
なんか、勘違いしている人が
やけに多い。
思いついたこと
全部言わなきゃいけないと
脅迫的に伝える人がいる。
しかし、
教えることは
最小限でいい。
少なくとも教育においては
そうぢゃ。
全部、言う必要はない。
ゲームが始められる最小限でいい。
あとは、
失敗をさせてあげなさい。
転ばせてあげなさい。
痛い目にあわせてあげなさい。
死なない程度に見守ってあげればいい。
ずっと見張ってて
そうじゃない、こうだとか
ほらみてみろとか、
どうして、なんどいってもできないんだとか、
そんなにずっと見張られていたら
できるものもできるようにならない。
第一、それで見張られているほうは
つまらない。
見張って、
まるで、愚痴でも吐くかのように、吐き捨てるかのように
人をなじりつづける、先生方があまりにも多い。
これは、学校などの先生を言うのではないよ。
親もまた、その一人ぢゃ。
ちゃんと、失敗させてあげなさい。
代わりにやってあげれば
早くて、楽ぢゃろう。
あーだこーだ言うことのほうが楽ぢゃ。
見守ることは
忍耐がいる。
見捨てることとは違う。
見放すこととはまったく違う。
見守る。
力を抜いて、
でも、意識を保つ。ということが必要ぢゃ。
教えることに携わる人に
必要な技術は、これだけと言ってもいい。
これさえできればいい。
しかし、ほかの全部はできても
これだけはできない、という先生方。
うーん、多い。
教える人は
完璧でなければいけないわけではないのぢゃよ。
教える人は
なめられてはいけない、わけぢゃないのぢゃよ。
言ったことを
相手が完璧にできなくては、先生失格というわけでは
ないのぢゃよ。
見守るということができるかどうか。
一度に伝えるルールは
3つに絞りなさい。
ひとつひとつ、簡単に。
短い、言葉で。
簡潔に。
それ以上は、覚えられない。
なんだっけと思い出すうちに失敗する。
それをまた、教える人間が、そーではないといってなじる。
これは教育ではなくて
暴力だよ。
教育とは、癒しなんだよ?
でも、今は、教育が暴力に近くなっていて、
教育病というものがあるのぢゃよ?
教育を受けたばかりに
うまくいかなくなっている人が多くいるのぢゃよ。
人はそれぞれ、各自の中に答えをもっている。
そのことを、覚えておきなさい。
そなたが、何かを、教え諭す必要のあるものなど
ひとつもない。
人はみな
自分を導き、育てる力をもっている。
その力がスムースに働くように
ただ、見守るだけで、良いのぢゃ。
それだけで、
あとは、勝手に動き出すから。
うまく、相手が上達しないときというのは
何かが足りないのではなく、
そなたが余計なことをしている場合というのが
8割以上ぢゃ。
