おずぃぢゃ。
命について。
人の生き死にについては
人の分野ではなく、
守護霊の領域ですらない。
ただ、
ひとついえることは
仕事をおえたら
帰ることになっている、ということぢゃ。
仕事をするために
思いを遂げるために
人は生まれてきている。
それが遂げられるぬまま
人生を終えたとき
それは次の人生に持ち越される。
よく早くに体を離れる魂がある。
若いのにかわいそうと言われる。
しかし、わしらからいわせれば
仕事を終えたのぢゃ。
魂によっては
既に仕事をおえたのに来る魂もある。
なぜ、くるかといえば
手伝うため。
子どものうちになくなる人の多くは
そうぢゃ。
彼らは仕事をおえている。
成長を手伝うためだったり
他の人の思いを遂げるために、
再び起こる奇跡。
こういうことするのが
「あちら側」は好きぢゃ。
実に
ユーモラスな方々ぢゃからな。
ぽっぽや という映画を見たことがあるかな。
ああいう現実は、案外身近なところに、ある。
だから
どんなに安全を確保しても
寿命を延ばしたことができたとしても
「仕事」をしないのであれば
しにきたことをしないのであれば
同じぢゃ。
わかるかな。
「本当にしたこと」をしなければ
どんなに生き延びることにエネルギーを使っても
同じなのぢゃ。
進まないのぢゃ。
精神ほうが、物質より大切ぢゃ。
それぞれの答えがあっていいのぢゃが
わしの人間時代の人生を振り返ってみるに
わしはそれを選択する。
物質はなくなる、という幻想をもっている。
しかし、それは
精神から見れば、形を変えるにすぎない。
そして、物質は失うと言う幻想をもつ。
しかし、
精神は、失われることはない。
それは見て、聞いて、味わい
認識する主体、そのものだから。
そなたはなにをしにきたのかな。
自分が、この世を、自分の体を
上空から見守るとき、
その健やかなる、安らかなるときに
なにを思うぢゃろう。
何を思っていたいぢゃろう。
答えは
常に。
常にそなたの中にある。
そなたが求めた時
そなたの目の前に、
鏡として、
メッセージとして、
現れる。
それに気づこうが気づくまいが。
そなたの仕事。
それは決められたものではない。
ましては、他人に決めてもらうものでは決してない。
そなたが、決めてきたことであり
決めたことに出会う旅ぢゃ。
物語がそこにはある。
物語と思おうが
思わなかろうが。
しかし、これだけは
しっておくといい。
そなたが恐れるもの。
それは存在しないことを。
恐れることは起きない。
心配しなくていい。
そなたは、生きて
いずれ、体から離れる日があって。
その日まで一生懸命生きる。
それだけぢゃ。
それだけで十分。
その奇跡に
どれだけ気づけるかの。
この息を呑むほどまでの
美しさに。
